12月 25, 2019

平和の君の王国

大学時代、私は北村透谷を研究対象にしたことがあります。小田切英雄、平岡敏夫、勝本精一郎といった研究者の論文などを読み、自分の非力さを痛感し、断念してしまいましたが。今、手元に残っているのは、明治文学全集などのアンソロジーだけです。今日は、昔を思い起こしながら、透谷について書いてみたいと思います。

北村透谷は明治元年生まれで、近代日本の惣明期に活躍した詩人です。明治10年代の自由民権運動に深く関係していましたが、同志から活動資金を得るために銀行強盗の計画を知らされたことにショックを受け自由民権運動から離れてしまいます。そして、明治20年(1888年)数寄屋橋教会でキリスト教の洗礼(バプテスマ)を受けるに至ります。

今日のタイトルは、透谷がクエーカー教徒の絶対平和主義に共鳴して、日本平和の会の結成に加わり、その機関誌「平和」第1号(1892年3月)に寄せた評論の題にほかなりません。副題に(聖書馬太伝よりの観察)とあるとおり、マタイ福音書に書かれている「悪魔の誘惑」の場面を解読しながら絶対平和の思想を述べたものです。

透谷は「教会は神の御旨に背いて争いを繰り返している」と、それまでの教会のありように厳しい目を向けます。富国強兵を合言葉に、時代は平和からどんどん離れていく。やがて日清戦争へとなだれ込む時代状況を背景に、透谷はこう主張します。

「基督は戦争を許したりとは、そも何れの点よりか学び得ん。光ある国をば黒煙の中に巻き去り、家を焼き、肉を焦し、砲銃は大気を震動し、山野を荒蕪にし、『死神』をして大地に蔓延せしむる戦争なる者の、基督の教旨に背戻する事、豈甚しからずや」(新漢字に改め、適宜平仮名に直しました)。

今から100年以上も前に、このような文章が書かれていることを、わたしたちは忘れてはならないでしょう。現在の教会のあり方に対する警鐘のような気がするのですが、皆様はどのように感じられたでしょうか。