12月 12, 2019

55年前の思い出

クリスマスの時期になると必ず思い出すことがあります。55年前の12月20日、わたしは富野バプテスト教会(北九州市小倉北区)でバプテスマを受けたのでした。牧師は菅野救爾先生。それがわたしの「新しい生」の始まりだったのです。

わたしのバプテスマは、おそらく笑い話のようにして語り継がれていたのではないかと思います。どうしてかって?いや、それが、けっこうお恥ずかしい話でして…(^_^;)

皆さんご存知のように、バプテスト教会ではバプテスマの形態として「浸礼」を主張しています。昔は海や川で水中に身を沈めてバプテスマを行なったそうですが、わたしのときはバプテストリーが教会に備わっていました。

12月という寒い時期なのに、当時は前の晩から水を張ってバプテスマ式に備えていました。当然、水は氷のように冷たい。ですから、水から上がるとすぐにストーブ(達磨ストーブです!)の前に行って体を温めることになります。

いや、問題はその前にあるわけで、水の中に入るのですから、全身ずぶ濡れになりますよね。シャツもパンツも全部濡れてしまう。何度もバプテスマ式を見ている人や、クリスチャンホームの人はもう分かっています。バプテスマ式には着替えが必要だって。

ところがわたしときたら、初めてというのは怖いものです、パンツもシャツも着替えを持ってこなかった!!ストーブの前に行ってそのまま火にあたる。体から水がぽたぽた落ちる。なんせタオルも準備していない。どうしようもありません。周りでお世話をしてくださっていた方々は、唖然としてわたしを見つめています。後はどうなったか、ご想像にお任せしましょう。教会始まって以来の椿事だったのではないでしょうか。

とにかく何とか無事にバプテスマ式を終わって、外に出る。教会の前庭には大きな木がありました。すっと空に向かって伸びる一本の木。葉は落ちているものの、枝はわたしを祝福するかのように広く、大きく手を広げている。その向こうには真っ青な冬晴れの空。空気の冷たさを感じないくらい、わたしは喜びに満たされていました。

これを「新生」の喜びというのでしょう。「罪のこの身は今死にて、神のいさおによみがえり」という讃美歌が口をついて出てくる。生まれ変わったんだ! 神様、有り難うございます。わたしはこの気持ちを忘れません。牧師になってこの喜びをたくさんの人たちに伝えます。そう決心したのが、45年前だったのです。

わたしが献身して神学校に入学したのは、55年前。実に決心してから40年の歳月が経っていました。荒野の40年といえば格好はいいですが、教会にもまともに行っていません。そのようなわたしを神は導いてくださり、寄り添ってくださり、見放さなかった。

55年前のあの時、バプテスマを受けなかったら、今のわたしはなかったでしょう。わたしたちの主は、インマヌエルの神は、わたしたちがどのような苦境の最中にあろうとも決して見放されない。わたしはそれを心底信じています。ハレルヤ!